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| 「火を投げ込むために来たイエス:真の平和と命の分裂」 |
主任司祭 パウロ朴起徳神父
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「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである。」「あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ。」(ルカ12・51)
私たちは、この言葉に衝撃を受けるかもしれません。平和の王として来られたイエス様が「分裂」という言葉を口にされ、さらに「 火を投ずるために来た」と言われているからです。しかし、イエス様が語られる「火」とは、破壊の火ではなく、聖霊の火、つまり愛と真理の火を意味します。この火は、石のように固く閉ざされた人の心を変え、神の愛へと導き、この世の闇と不正を清める火なのです。
キリスト者として生きている私たちですが、時に自分の中で神の御心に逆らう何かが強く働いていると感じることがあります。人間の本能的な欲求、利己心、誰かへの強い嫉妬や妬み、憎しみ、怒りなどが心の中から湧き上がってくる時があるでしょう。
そのような時、皆さんはどう反応されますか?そうした欲望や感情のままに身を任せてしまいますか?そして、自分に失望して罪悪感を抱いたり、「仕方がない」と妥協して見て見ぬふりをしてしまったりしていませんか?まさに、そうした弱さの中に生きる私たちにこそ、このイエス様の言葉が必要なのです。「わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ。」
ここで語られている「分裂」とは、破壊のためのものではなく、命を生かすための分裂です。私たちの中で、神の御心に従って歩むことを妨げ、誘惑し、揺さぶりをかけようとするその正体を見つめ、それに振り回されずに生きるための分裂です。そして、その命を生かす分裂を助けるのが、まさに「み言葉の力」なのです。
そのため、ヘブライ人への手紙にはこう語られています。「神の言葉は生きており、力を発揮し、どんな両刃の剣よりも鋭く、精神と霊、関節と骨髄とを切り離すほどに刺し通して、心の思いや考えを見分けることができます」と。(4・12)
私たちは皆、完全ではなく、それぞれに弱さや欠点を抱えて生きています。それでもなお、共に信仰の道を歩むことができるのは、真の平和と真の分裂を通して、神の御心へと導いてくださるイエス様が共にいてくださるからです。そして、そのみ言葉に耳を傾け、従おうとする思いが私たちの中にあるからなのです。
兄弟姉妹の皆さん、今日もイエス様は私たちの心に火を灯し、清められ、新たに生まれ変わるための人生の選択へと招いておられます。恐れを感じることがあるかもしれません。避けたくなることもあるかもしれません。そんな時こそ、イエス様のこの言葉を思い出してください。「恐れるな。わたしはあなたと共にいる。」どうか、その火を心に受け入れ、新たに変えられた人生を共に歩むことができますように。アーメン。
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