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◆ カレンガ・カペンデ神父 ◆ |
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カレンガ・カペンデ神父
KALENGA KAPEND
◆ 好きな聖書の言葉 ◆
「彼らは、自分たちの突き刺した者を見る」
(ヨハネ19:37)
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出 生 |
1979年 1月 2日 コンゴ民主共和国・カサイ州生まれ |
洗礼名 |
Jean (ジャン=使徒ヨハネ) |
叙 階 |
1999年 淳心会に入会
2003年9月8日 初誓願
2011年 3月21日 玉造大聖堂で助祭叙階(日本)
2011年 7月26日 王であるキリスト教会で司祭叙階(コンゴ・カサイ州) |
略 歴 |
2007年 9月25日 来日
2007年11月〜2008年3月末 フィリピンで英語の勉強
2008年〜2009年 金剛教会と生野教会に、一年ずつ滞在しながら、
日本語学校に通う
2009年〜2011年 日本語学校卒業後、阿倍野教会で1年半の奉仕
2011年11月〜2015年4月 姫路地区中ブロック
(姫路教会・仁豊野教会・豊岡教会・佐用教会)担当司祭
2015年4月〜 宝塚教会 第10代主任司祭 |
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◆ カレンガ神父からのメッセージ ◆ |
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ようこそ、カトリック宝塚教会に
いらっしゃいました!! |
イエス様に出会った人々が造る宝塚教会共同体は、あなたを喜んで迎えます。
たまたま宝塚市に遊びに来られ、聖堂の見学に立ち寄られたあなた、
または、キリスト教に興味をお持ちの皆さんが
この教会の中で憩いの場を見つけることを願っています。
教会は、神との交わりの場であり、兄弟姉妹との交わりの場でもあります。
私たちは、日々生活の中で賛美と感謝の内に過ごしていますが、
時には、喜びを得られない自分自身の弱さを体験することがあります。
しかし、私たちは、イエス様と教会の内に、
「新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。
走っても弱ることなく、歩いても疲れない。(イザヤ40:31)」
聖書のみ言葉にあるように、力をいただきます。
交わりを通して私たちを、常に新しくしてくださるイエス様は、
いつも招いて教えてくださいます。
「私のもとに来なさい。そうすれば分かる(ヨハネ1:39)」
イエス・キリストと共に一緒に歩んでみてはいかがでしょうか。
どうぞよろしくお願いします。 |
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◆ カレンガ神父へのインタビュー ◆ |
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★コンゴ民主共和国について教えてください。 |
アフリカ大陸中央部のコンゴ川流域に広がる国です。
主な宗教は80%がキリスト教です。そのうちにカトリック信者は50%です。
イスラム教とアフリカ伝統宗教は、それぞれ10%です。 |
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★なぜ神父の道を? なぜ淳心会に入られたのですか? |
初めから神父になるという計画はありませんでした。
高校卒業したばかりの頃、私は散歩の途中で、「たまたま」司祭館の前でタバコを吸いながら立っている一人の淳心会のベルギー人の神父に出会いました。私にはその神父がとても印象深く、その後、私もあなたのように神父になりたいと告げました。その神父は私をじっと見つめながら「いいよ」と言ってくださいました。それから、私もやってみようという感じで歩み出して、今日に至っています。 |
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★なぜ日本に来られたのですか? |
「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、…わたしがあなたがたを任命したのである」(ヨハネ15:16)。
「たまたま」神様は、淳心会を通して、私を日本に任命「派遣」されました。 |
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★日本語がとてもお上手ですが、どこで勉強されましたか? |
2年間、難波にあるエール学園に通いました。その間、1年ずつ金剛教会と大阪生野教会の信徒、神父やシスターにお世話になりました。
日本語学校卒業後も阿倍野教会での1年半の見習い期間を利用して、日常会話や教会で使われている専門用語を勉強しました。その勉強は、日本にいる限り続くものだと思っています。 |
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★「彼らは、自分たちの突き刺した者を見る」(ヨハネ19:37)というみ言葉が好きな理由を
教えてください。 |
◆意味: 突き刺されたイエスの脇腹から流れ出た血は私たちの罪を贖う血潮を意味しています。「血を流すことなしには、罪の赦しはありえないからです。」(ヘブライ9:22)
そして、イエスの脇腹から出た水はイエスの霊の言葉を意味しています。
「わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」(ヨハネ4:14)
十字架のイエスは、自分たち、あるいは自分がその脇腹に槍を突き刺した張本人だと思う人への救い「赦し」のメッセージです。
イエスの死後、十字架の下に来て信仰告白をしたローマの百人隊長は言いました。「本当に、この人は神の子だった」(マルコ15:39) そして自分たちの信仰を明らかにして、遺体を引き取りたいとピラトに申し出たアリマタヤのヨセフとニコデモ(ヨハネ19:38〜40)はイエスを仰ぎ見て自分たちの罪を認めました。その罪とはイエスの十字架に関わったことです。
◆好きな理由:このみ言葉を心に留め、日々祈りにおいて、神様に願い求めています。教会や世界の中で、十字架(苦しんでいる人)に付けられている人々(イエス)を仰ぎ見て、アリマタヤのヨセフやニコデモのように、間接的であっても人々の苦しみを引き起こしていると認め、マザー・テレサなどのように、信仰をもって、その人々に役に立つ奉仕ができますように。また、ピラトのように、わたしには苦しんでいる人々の苦しみは関係ないと言い、その人々から身を引く人、あるいは大勢の群衆のように、その人々を嘲る人にならないように力をお与え下さいと。 |
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★神父様の「夢」を教えて下さい。 |
神を仰ぎ見ること。「いつ御前に出て、神の御顔を仰ぐことができるのか。」(詩篇42:3)
「心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る」(マタイ5:8) を夢見ます。 |
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★宝塚教会の信徒に望むことは何ですか? |
◆愛に結ばれた兄弟姉妹の共同体を作ることです。そのために一人一人が常に自分の心を究明し、そして神様に「御覧ください/わたしの内に迷いの道があるかどうかを。どうかわたしを/とこしえの道に導いてください。(詩篇139:24)」というお祈りを捧げることです。
◆「それでも」神様に、人々に、感謝し続ける信仰のうちに常に成長することです。 |
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