カトリック宝塚教会  月報「よろこび」  巻頭言  カトリック宝塚教会のロゴ
2013年8月号 キリストの復活
主任司祭 パスクアル・サオリン・カマチョ神父

 信仰宣言の教えに従って、今月はキリストの復活のテーマに近づきます。キリストの復活はわたしたちの信仰の中心です。イエス様の模範と教えは素晴らしいですが、死と共に終わったら、どんな価値があるでしょうか? 人生のすべてのよい行いと正しい教えが永遠に消えてしまったら、どのようして人間は信じることができるでしょうか? キリストは復活しなければ、人生は臨終を待つ時間だけになってしまいます。しかし、確かにキリストは復活して、私たちに永遠の命の道を広げてくださいました。

 キリストの復活は信仰の教えだけではなく、歴史の出来事です。この出来事の証拠は二つあります。一つは空いている墓です。しかし、この証拠は直接キリストの復活を確認できません。もう一つの証拠はキリストの現れです。この現れは新約聖書の中だけではなく、ある歴史のドキュメントの中にも書き記されています。使徒達は復活されたキリストと出会って、彼から福音宣教の使命を受けました。そのきっかけ、キリストの行いと教えは教会のメンバーを通して、すべての国とすべての時代に実行されています。

 初代教会の信徒たちの体験は特別な体験です。彼らは、キリストと同じ時代に生き、直接彼を見て、聞くことができました。私たちの時代は違いますので、他の方法でキリストとつながっても、信仰は同じです。私たちは使徒達の証を信じ、彼らの体験を自分の体験にすることができます。私たちは使徒達と同じように、キリストは復活して、天に昇って、彼の聖霊は私たちを導いてくださることを知っています。これは私たちの理想的な信仰ではなく、真実の体験です。

 キリストの復活は想像の結果ではなく、愚かな人の憧れでもありません。私たちはキリストがこの世を貫いて、私たちの心の中に永遠に生きることを感じています。復活されたキリストは私たちを呼んでくださって、弟子にさせてくださいました。初代の教会の信徒と同じようにわたしたちはキリストの声を聞くことができなくても、その声は私たちの中に響いています。その声は永遠の声として決して黙ることができず、沈黙の祈りを通してもっと明らかになります。また、キリストの姿を見ることができなくても、すべての兄妹姉妹の姿を通して、また、御聖体の姿を通して、キリストの笑顔を眺めることができます。確かにキリストは生きている。私たちの中に生きている!


Copyright(C) 2011 Takarazuka Catholic Church All Rights Reserved.