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2013年5月号 信仰年の信仰宣言のコメント
     「父のひとり子、わたしたちの主イエス・キリスト」
主任司祭 パスクアル・サオリン・カマチョ神父

  キリストを信じることは理性の働きだけではなく、感情です。キリストのメッセージを聞く人は、頭だけで理解しないで、メッセージを通してキリストの心につながって、キリストと一つになる気持ちに抱かれます。もし、この気持ちが現れなければ、信仰であると言うことができません。キリストに従うために科学者の態度に優って、恋をしている人の心を作れなければなりません。キリストのメッセージは真理だけではなく、命も道です。

 キリスト教の信徒になりたい人は「勉強会」に参加して、入門講座を通してキリストに従うことを覚えます。しかし、「従う」と言うことばは、聖書によって二つの意味があります:「聴くこと」と「服従」です。この二つの態度はキリストの態度から来ます。キリストはいつも祈りを通して御父の御旨を聴いて、死に至るまでことばと行いを通してその御旨を実行しました。キリストを信じることは、キリストと共に救いのことばを聴いて、それを日常の生活で行うことです。このように、祈りと道徳は信仰の二つの大事な柱です。

 わたしたちは歴史のイエスを通して父のひとり子、主であるキリストを信じます。歴史のイエスがなければ、主であるキリストを信じることができません。同じように、復活したキリストを信じなければ、歴史のイエスの教えと行いは意味がありません。歴史のキリストと信仰のキリストは同じ方で、わたしたちのために天から降って、人間になって、人間の惨めさの中から救いの道を開いてくださった神様です。

 信仰宣言を唱える時、「キリストを信じます」と言ったら、深くイエス様の人格とつながりましょう。頭だけではなく、心で人間の同伴者になったキリストにわたしたちの理性と意志を捧げましょう。


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