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2013年4月号 「ようこそ、フランシスコ!」
主任司祭 パスクアル・サオリン・カマチョ神父

  今年の冬にカトリック教会では動乱がありました。最初に前教皇様が「ペトロの使命」を他の方に渡すことの決定は信徒の不安を起こしてしまいました。しかし、時が経って、その決定の意味の深さは大きくなって、不安の代わりに希望が与えられました。前教皇ベネディクト十六世は無責任ではなく、勇気を持って、信頼の決定をしたことが明らかになりました。教会は現在の挑戦の前に逃げないで、もっと強く応えるための反省と祈りの時間が始まりました。ひとり一人の信徒の心の中に大事な期待が現れたと思います。

 3月になって、聖霊の導きにより、アルゼンチンの一人の大司教様の肩の上に、「ペトロの役割」が覆いました。この大司教様は「教皇様」ではなく、ローマ教会の司教として現れました。彼は「フランシスコ」という名前を選んで、信徒の信仰を強め、みんなの牧者になりました。聖フランシスコの名前は一回も教皇様たちに使われませんでした。よく考えたら、おかしいことではありませんか? どうしてこんな有名な聖人の名前がなかったのでしょうか? 聖フランシスコは力を捨て、教会の回心の道を教えてくださいますが、教会は歴史に沿って、貧しい人々のことを忘れ、自分を高くして、立派な人、お金持ちの人、エリートの人だけを大切にしました。この道はキリストの道と違いますので、教会の改革が必要であると思います。ローマの教区の司教様の姿を見て、また彼の話を聞いて、聖霊がわたしたちの心に話してくれることを深く感じることが出来ると思います:「貧しくなって、貧しい人のための教会は、なんとも言えないほど望ましい!」と全世界の新聞社に言いました。また、フランシスコは自分で宿屋の勘定を払って、歯医者さんに電話して、立派な車を止めて普通の車を使って、病気の人を抱き、新しいスタイルを作っています。豪華な教会に慣れた信徒は反省しなければなりません。その教会はキリストが望む教会ですか? 貧しい人を忘れたら、どのようにして誠実な信徒を作ることが出来るでしょうか? 

 教会は新しい時代に直面しています。貧しい教会になれなければ、また神様の赦し、憐れみ深い心、優しさを示さなければ、どんな教会になれるでしょうか? ローマの司教様、新しいフランシスコが私たちの信仰を清めて、わたしたちにキリストの道を教えるように祈りましょう。教会の春になったと思います。教会の顔を洗って、悔い改め、神様に信頼しながら、福音を中心にして、教会を新しくしましょう! 神様、フランシスコにペトロの役割を与えてくださって、感謝します。彼を守って、強め、導いて下さい。また、彼がわたしたちの応援と祈りを感じるように、わたしたちの祈りをローマまで送って下さい!


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