カトリック宝塚教会
カトリック宝塚教会月報 2010年12月号
希望の子

主任司祭 パスクアル・サオリン・カマチョ神父

一年間は長い時間ですか、短い時間ですか?
実は、時を計ることは難しいことです。
例えば、飛行機に乗る時、空を飛ぶためのスピードは速いことをよく知っていますが、窓を通して地面を見れば、飛行機は止まっていることを感じます。
また、飛行機のナビゲータで地球の地図の中で飛行機の動きを見ると、本当に動いていないかのように思います。
900k/h で飛んでも、宇宙から見れば、スピードは遅いです。
神様はどこから私たちを見ていますか?
神様はどのようにして時を計りますか?
人間の時と神様の時は同じですか?
同じではないと思います。
神秘的なことですが、神様は今だけではなく、過去にもおられるし、未来にもおられます。
神様が過去から私たちをご覧になれば、どんな眼差しがあるでしょう?
未来から私たちを見ればどうでしょうか?
必ず、神様の眼差しは愛の眼差しであると思います。
私たちは過去から見れば、“希望の子”だと思います。
全ての歴史は私たちの誕生に向かっている道でした。
その道を作ったものは、神様です。
また、未来から見ても、私たちは“希望の子”です。
私たちはどんな素晴らしい人になることが出来るでしょう!
それは神様の期待だと思います。
待降節は神様の到来を期待する典礼の季節だけではなく、神様に期待されるための季節だと思います。
私たちは待降節の道をよく歩いたら、どんな素晴らしい人になることができるでしょうか?
歴史は人間の全ての時の要約だと思います。
神様は歴史の中におられるけど、同時に歴史から溢れます。
私たちは歴史から逃げることができませんが、キリストの降誕祭を期待することが出来ます。
キリストの誕生はこの世の歴史から溢れ、永遠に向かう道の門です。
ベツレヘムの馬小屋を探し求めることは永遠の命の門に向かうことだと思います。
私たちはその門を通して入りたいと思います。
神様は赤ちゃんになって、永遠の馬小屋から私たちに期待しています。
信仰を通して、時を越え、私たちを期待してくれる神様の出合いまで歩みましょう!