カトリック宝塚教会
カトリック宝塚教会月報 2010年3月号
四旬節の道

主任司祭 パスクアル・サオリン・カマチョ神父

冬の最後の寒さのなか、私たちは四旬節を迎えます。
四旬節は復活祭を準備するための40日の期間です。
聖書の中で40はとてもシンボリックな数字です。
旧約聖書では、ノアの箱舟は40日間洪水を堪(こら)えました。
ヘブライ人は、自由な民になるためにエジプトから逃げて40年間荒れ野をさまよいました。
また新約聖書では、イエス様が自分の使命を始める前に40日間荒れ野で断食して祈りました。
そして、キリストの復活からご昇天までが40日でした。
聖書の中で40という数字は救いの体験を示します。
この体験は、いつも「危機」の時、苦難を通して人間を自由にまで導く霊的な道です。
けれども、人間は「危機」の体験に対して簡単にわがままな態度をとります。
そうして苦労を退けると、自由と真の幸せは受けられません。
涙と努力の汗が幸せへの道の最初のステップです。
「40日」の体験がなければ、復活の喜びを見つけることができません。
そのために、信者は昔から四旬節を大切に過ごします。
四旬節の道具は三つです。
それは施し、断食、祈りです。
この三つの道具は私たちを苛めるためのものではなく、心を清めて強くするための解放の道具です。
義務よりも自由になるための方法です。
気づかないうちに私たちの心の中にたくさんの執着が生まれます。
この世のものへの傾きです。例えば、若さ、お金、健康、好きな人、仕事、遊び、わがままなどです。
これらのこの世のことが、私たちの心に重い影響を起こしてしまい、しだいに私たちの心は悲しくなります。
この暗いプロセスは静かに起こるので、人間はあまり気づきません。
こうして、ある日、いつの間にか私たちの心の中にたくさんの良くない気持ちが現れて、大変な状態になります。
私たちは一人ひとり、自分の力に応じて、四旬節の道具を使わなければなりません。
確かに施し、断食、祈りをすることは、あまり面白くはないことですが、成熟するため、また自由になるために必要なことです。
いつもキリストに従って、キリストと共に四旬節の荒れ野に入りましょう!
執着を捨てて、心を清めて、新しく生きましょう!
そうすれば、キリストの復活を本当に祝うことができます。