カトリック宝塚教会 月報 巻頭言  カトリック宝塚教会のロゴ

2024年 4月号
暗い夜を渡って光へ
パウロ 朴起徳神父

   皆さん、暗闇は恐れとカオスを象徴すると同時に、神様に会う時でもあります。私たちはそれぞれの暗い夜を渡らなければなりません。ご自分の中に存在する暗さに直面して渡るときに、初めて復活するイエス様に出逢うことができるからです。イエス様の弟子たちも同じように暗闇を通らなければなりませんでした。彼らの希望はイエス様の死のため、粉々に砕かれてしまいました。恐れと絶望に包まれ、ドアに鍵をかけ、しっかりと隠れました。 毎日彼らを導いてくれたイエス様の教えは空虚に舞い散ってしまいました。
 
 ところが、朝ごく早く、3人の女がイエス様が安置されたお墓に行きました。時は日が昇る明け方でした。こうして3人の女はすでに暗闇を過ぎました。もし捕まったら死に遭うすべての危険に耐えながら闇をかき分けてイエス様のところに進みました。彼らのイエス様への愛は、恐れよりも強かったのです。お墓に着いた彼らは、復活の最初の証しを見ました。それは空っぽのお墓でした。そしてすぐに2番目の証しである天使に出会いました。天使は言いました。「驚くことはない。十字架につけられたナザレのイエスは復活なさって、ここにはおられない。」

 イエス様への愛から始まった彼らの信仰は、イエス様の復活なさったというメッセージを完全に伝えるでしょう。復活の嬉しい知らせを彼らだけのためにしまっておかないでしょう。その「喜び」と「希望」はじっと中にしまっておくことはできません。私たちも嬉しい知らせがあれば家族や知人に知らせて一緒に喜ぶように、復活の喜びと希望は伝えざるを得ない、神様から与えられる贈り物であり、恵みだからです。天使は言いました。 「あの方は、あなたがたより先にガリラヤヘ行かれる。そこでお目にかかれると。」

 ガリラヤ...  ガリラヤは、貧しい人々と疎外された人々、病人と冷遇された人々が集まって暮らしていた場所でした。そして、まさにそこでイエス様は弟子たちをお呼びになりました。はい、そうです。弟子たちにとって、ガリラヤはイエス様と初めて逢った場所です。将来に対する希望と神の国に対する情熱と平和が息づいていた場所です。ガリラヤに戻る弟子たちは、彼らがイエス様から受けた使命とアイデンティティを回復し、彼らの心を熱くした喜びと希望に再び会い、十字架の道を歩いて行かれたイエス様の愛を記憶することになるでしょう。

 皆さん、今、自分に聞いてみましょう。「私のガリラヤはどこだったのだろうか?」「私の喜びと希望はどこから来るのだろうか?」皆さんもご存知のように、復活なさったイエス様に逢った弟子たちと多くの人々が証人になって、その充満した喜びと希望を伝え続けてきました。そして、その役割はもはや私たちに任せられました。
 
     
 
 
 

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