カトリック宝塚教会 月報 巻頭言  カトリック宝塚教会のロゴ

2024年 3月号
親しみのある共同体となるために
パウロ 朴起徳神父

  皆さんは、重い皮膚病を患っている人を治癒なさったイエス様の話しをご存知だと思います。あわれみ深く神の御心を表すイエス様を、福音はこのように言います。「イエスが深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れた。」「手を差し伸べてその人に触れた。」という部分はとても大切です。表面的にはただ「手を差し伸べて病人に触れる行為」に見えますが、その中には罪人たちと病人たちに向けたイエス様の親しみが込められています。イエス様は単純に病人に「よろしい。清くなれ」と言われることもできたでしょう。しかし、その方は言葉だけではなく、あわれみ深い心の込められた手を伸ばして彼を慰めてくださいました。なぜなら、親しみなしには、善を行うことができないからです。親しみなしには、平和を成し遂げることができないからです。親しみなしには、共同体を造ることができないからです。

 私が南米チリの北の砂漠地域で宣教活動をしていた時の話です。草一株は見にくく、昼間は熱く、夜はとても寒くなる砂漠特有の環境のためか、アルコールや麻薬など中毒になる人が多いでした。ある日、 Mandaiのようなスーパーマーケットで食べ物を買って帰る途中でしたが、あるおばあさんが布団にくるまって路上で寝ていました。ちょうど、買った水とパンがあったので、車から降りてそれらを持って近づきました。近くに行っただけなのに、おしっこのにおいとお酒のにおいが強くしました。「おばあさん、大丈夫ですか? 大丈夫ですか?」と何度か聞くと、やっと目を覚まし、「何?」と答えました。「もしお腹がすいたり喉が渇いたりしたらこれでも召し上がってください。」と言って水とパンを差し上げると、このように答えました。「大丈夫だよ。でも、それをお酒に変えてくれない?」おばあさんのその言葉が面白かったので私が笑うと、その方も歯が全部抜けた歯茎を見せながらハハハと笑いました。それ以来、私は車の中にいつも水とパンを載せて、ホームレスたちが見えたら静かに渡し始めました。

 兄弟姉妹の皆さん、神様のいつくしみは人種、国籍、年齢、身分などのすべての障壁を越え、それぞれ大小様々な苦痛と困難で苦しむ私たちに近づいてきます。そして、イエス様のこのあわれみ深い親しみはミサの中で、特に信仰をもって受け入れる聖体の秘跡を通して現実になります。「皆、これを取って食べなさい。」と言われ、私たちの手が、その方に触れることを許してくださり、私たちの命の糧となってくださいます。それゆえ、私たちもイエス様のあわれみを学び、共同体の中のあらゆる疎外と差別に打ち勝ち、一致に進む道具になってほしいと思います。
 
     
 
 
 

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