カトリック宝塚教会  月報「よろこび」  巻頭言  カトリック宝塚教会のロゴ
2017年9月号
「あなたは年をとると、だれかほかの人が、
      行きたくない所へあなたを引っ張って行く」
(ヨハネ21:18)
主任司祭 カレンガ神父

   暦の上では、今月は敬老の祝いを迎えます。宝塚教会では、来月、長寿の恵みを受けた兄弟姉妹たちのために祈ることとなっています(ときわ木会)。

 「長寿の恵み」を受けている人と、そうではない人がいたかのような表現を日常的に使っていますが、司牧者の私としては、聖書の言葉から次のように表現したいと思います。主イエス・キリストが聖パウロに表したように、私たちは皆十分な恵みを受けています。「わたしの恵みはあなたに十分である (二コリント12:9)」と。

 ピエール・コルネイユ(17世紀フランス古典主義の時代の劇作家)も、この聖書の事実を認めて言いました。「気高く生まれた魂の値は年の経過を待ちません」。人間の値は、育った環境、積んだ経験や実績、または寿命にあるのではなく神の愛のもとにあるのです。言い換えれば、愛である神の「似姿」として造られた私たちは、いかにこの愛に答えたか、いかに愛して来たかということが重要です。更に同劇作家は言いました。「深く愛していたものを憎むことはなかなかできない」。お年寄りのうちに自分の未来の姿を見る私は、人を憎まないで老いを迎えたいと思います。

 老いを迎えることは、病あるいは、人々の神経を悩ます問題ではなく、誰もが経験しうる自然法則です。その自然法則と戦うために、人々は、医療の分野などで研究を重ねて来ました。それでも、やはり自然に勝てないと言う時は、思いきって自然法則に甘えてもよいのかもしれません。自然法則に甘えるとは人々の助けを受けることではないでしょうか。私たちはみな助けられて生まれ、助けられて神に向かって行きます。しかし、ペテロのように、人々と神の助けを拒む自分があるのです。

 「シモン・ペトロのところに来ると、ペトロは、「主よ、あなたがわたしの足を洗ってくださるのですか」と言った。イエスは答えて、「わたしのしていることは、今あなたには分かるまいが、後で、分かるようになる」と言われた。ペトロが、「わたしの足など、決して洗わないでください」と(言った) (ヨハネ13:6〜8)」
父の力(助け)によって復活したキリストは、ペテロと私たちに、人々と神の手(力、助け)を借りることの大切さを教えてくださったような気がします。

 「あなたは、若い時にはしたいことをし、行きたい所に行きました。だが年をとると、そうはいかなくなります。あなたは自分の手を伸ばして差し出し、だれかほかの人が行きたくない所へあなたを引っ張って行くのです(ヨハネ21:18)」。

 ところで、ある大学の先生は以下の老人のタイプを考えました。今、または将来、自分に当てはまるタイプを考えてみてはいかがでしょうか。
 @成熟型 : 齢をとると円熟した老人になる
 A自適型 : ゆり椅子の老人、受け身の生活に甘んじる老人
 B装甲型(装甲に身を固めた老人の型 ): 今までもっていた権威あるいは頑固な個性をしっかりそのまま身体から離さず、鏡のように身につけて老人になっても構えた生活を続けるタイプ
 C憤慨型 : 人を批判ばかりするタイプ
 D自己嫌悪型 : 自分を低く見下げた気持ちで生活するタイプ
 宝塚教会の私たち一人ひとりが老いていく中でイエス様のようにますます知恵も加わって、神にも人にも愛される者となりますように(ルカ2:52参照)。

 

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