カトリック宝塚教会  月報「よろこび」  巻頭言  カトリック宝塚教会のロゴ
2017年3月号
「イエス(は)、それと思う人々を呼び寄せる」
(マルコ 3:13)
主任司祭 カレンガ神父

   カトリック教会の教えにもあるように、教会は、神様の救いの歴史の中で、独自の役割を持っています。また、すべての人々がキリストの名によって、救いのたまものにあずかる希望を持って歩んでいます。
 イエス様はザアカイに「今日、救いが この家を訪れた。(ルカ19:9)」 と約束しました。救いは既に与えられたものであると同時に目指すものでもあります。「今」あなたにとって、救いは何ですかと聞かれたら、どのように答えられますか。それぞれ置かれた環境によって、答えは違ってくるでしょう。しかし、私たちに救いを与えてくださる神は同じだと思います。

 救いの歴史の物語を読んでわかるように、神様は私たちを救うために、多くの人に協力を求めます。協力者としては、アブラハム、兄弟に売られたヨセフ、モーセ、ダビデ、預言者達、マリアと使徒達が、例としてあげられます。これらの人々は、識別の過程を経て、与えられた使命を果たしたと聖書は教えます。
 聖書の中に記されている識別の代表的な物語としては少年サムエル(サムエル記 上3:1~21)と、12の弟子の召し出し(マルコ3:13~19)、そしてマティア(使徒言行録1:21~26)の選びがあげられると思います。都合をつけてこれらの物語に目を通してみてはいかがでしょうか。

 教会は、聖書にもとづき、教皇の選出を80歳未満の枢機卿たちに、司教や枢機卿の任命を教皇に、主任司祭などの任命を司教に、小教区において信徒の任命を主任司祭の識別に委ねています。もちろん、それぞれ、ある事柄については教皇枢密会議、シノドスの教父たち、教区顧問と司祭評議会、小教区評議会の意見を聞いて識別し、任命するのです。ですが、司牧者(教皇、司教、主任司祭)は、それらの機関を通して得た意見に、すべて縛られるものではありません。"すべての権能はキリストから来る”ことから、司牧者はあらゆる圧力から守られ、そしてポピュリズムに走ることなく、与えられた神の民を牧します。
 「主キリストは、神の民を牧し、またつねに発展させるために、自分の教会の中に、からだ全体の善を目指す種々の役割を制定した。実際、聖なる権能をもつ役務者は、自分の兄弟たちに奉仕する。それは、神の民に属するすべての人、したがってキリスト信者としての真の品位を享受するすべての人が同一の目的に向かって自由に秩序正しく協力しながら、救いに到達するためである」 (教会憲章18)。

 宝塚にある神の教会が、救いの道具となるために、お互いに、与野党の関係ではなくて同じ目的に向かっている協力者として歩むことができますように。

 

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