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2015年9月号 
「子どもたちにうるさく言ってはなりません (コロサイ3・21)」
主任司祭 カレンガ神父

  教会の子ども達は、夏に仁川ブロック合同キャンプを終え、夏休みに入りました。キャンプでは、神様と教会を意識しながら、楽しいひと時を過ごしたと思います。今月、始業式を迎える子ども達が保護者と教会共同体の愛に包まれて、成長できるように共に祈りましょう。子どもの教育をテーマにした、教会の教父フランシスコのカテケーシスをここに紹介します。

 
  「子どもたちが自分と他の人々に対する責任の中に成長するように教育すること」は、家庭の本質的な特徴であり、召命であると教皇は強調されています。
「子どもたちは、何事につけ、両親の言いつけに従いなさい。それは主に喜んでいただけることだからです。父親は、子どもたちにうるさく言ってはなりません。子どもたちがやる気をなくさないためです。」(コロサイ 3, 20-21)という聖パウロの勧めを、叡智ある言葉として示されました。

「実際、子どもたちはやる気を失わずに一歩一歩成長すべきであり、それは親が子どもの手を取り、見守りながら、階段を少しずつ上らせていくのに似ている」「親子の関係には賢明さと大きなバランスが必要とされる」と教皇は話されました。

更に、今日の教育が、家庭において抱える様々な困難として、親が仕事で夜遅く家に帰らざるを得ない場合、両親が離別している場合などを例に挙げられています。特に、両親が別れた状態にある時、父親あるいは母親が子どもを「人質」のようにとって、相手の悪口を聞かせることは、子どもの成長において非常によくないと警告。たとえ一緒に暮らしていなくても、父親が母親のことをよく言い、母親が父親のことをよく言うのを聞きながら、子どもたちが成長することが大切と説かれました。

現代社会の中で、両親や家族の教育に対する役割は貶(おとし)められてしまったと述べた教皇は、それが家庭と社会、親と学校との間の亀裂を生む原因にもなっていると指摘しています。家庭と社会の教育における連携は、相互の信頼関係の喪失により危機に陥り、学校では教師と保護者の関係にしばしば対立と不信が生じるようになったことを懸念されました。

また、親たちが自分の子どもたちの教育を「専門家」に依存しすぎる場合の問題をも指摘されています。自分たちの家庭の非常にデリケートな問題まですべて専門家に託すことは、子どもたちの生活における親の存在を自ら除外するようなもの、と話されました。

慌しい今日の生活リズムの中で、親子が向き合う時間が減ると共に、親たちは現代の複雑な社会が生む子どもたちの新しい要求に戸惑い、間違うことを恐れ、身動きが取れなくなっている状況を教皇は見つめられています。

しかし、問題は、親子が話し合わないことだけでなく、真に心に 触れない「表面的な会話主義」そのものにあることに、注意を促 し、「『子どもは行くべき道を歩んでいるのか』『子どもたちの心は本当はどこにあるのか』を知っていますか?知ろうとしていますか?」と親たちに問いかけられました。

「すべての基本は愛にある」と話された教皇は、主がキリスト者の家庭に、その使命に必要な信仰と自由と勇気を与えてくださいますようにと祈ると共に、親たちはその「亡命」から戻り、再び教育におけるその役割を完全に担うようにと願われた。

 
     バチカン放送局ホームページ 2015.5.20 教皇一般謁見記事より、
若干の語句を微調整して転載しています。 
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