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2015年7月号 「慈しみとまことはともに会う、
義と平和は抱き合う
(詩編85•11)」
主任司祭 カレンガ神父

 私たちは今、終戦70年という節目の時を迎えています。腰を据えて「平和」について考え、世界の平和、教会の平和、家族の平和、自分自身の心と周りとの平和のために祈りたいと思います。

 コヘレトの書には、次のように書かれています。「かつてあったことは、これからもあり、かつて起こったことは、これからも起こる。太陽の下、新しいものは何ひとつない。」 (1•9)

 この国において70年以上前に起こった戦争は、今も、違う形でこの地上どこにでも起こっていると思います。絶え間ないテロ、殺人事件、詐欺, 経済格差、いじめや差別など、その新しい戦争の形を現しています。その犠牲者の多くは相変わらず、弱い立場に置かれた人々、女性、お年寄り、子供です。このような人たちを守るために十分に備えはできているのでしょうか。軍事大国であるアメリカでさえ、その問いかけに対する答えは「 ノー」です。

 このように考えると、今、戦後に生きる私たちは、改めて平和について学び、確認し、平和のために祈る必要性があると切に思います。そして、その平和は微力な私たち一人で築けるものではありません。

 争いのもととなる挑発的な行為を思う時、「平和」はいつも、天使ではない他者とも話し合い、場合によっては、他者と妥協しながらも築いてゆくものだと思います。教皇フランシスコは「私たち一人ひとりが他者のため、世界のための『平和の天使』でなければならない」と呼びかけられています。

 天使でない他者と平和を築くためには、私たち一人ひとりが平和の天使となる術を身につけることが大切になってきます。では、どのようにしたら良いのでしょうか。今、世界が重視している外交技術と経済技術に加え、人間技術と環境技術を含んだ教育こそが、平和の天使を造る道だと思います。

 環境技術については、教皇フランシスコが出した回勅「ラウダート・シ」を皆さんと共に学ぶ機会があればと思います。この回勅の表題は、アッシジの聖フランシスコの「太陽の賛歌」の中の言葉「ラウダート・シ、ミ・シニョーレ」(「わたしの主よ、あなたは称えられますように」の意)から取られています。

 人間技術については、教会が一貫して教えていることの土台は、(創世1・27)に書かれています。「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。」人間を含めて、すべてのものは神によって造られたという真理(まこと)を無くしては、平和の実現は不可能でしょう。そして平和を固める思いやりや、慈しみと正義は宗教を超えますが、この聖書の教えから由来しているのです。

 平和旬間の準備として、詩編 のことばを繰り返し唱えたいと思います。
「慈しみとまことはともに会う、義と平和は抱き合う」(詩編85•11)




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