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2014年1月号 「信仰年の後」
主任司祭 パスクアル・サオリン・カマチョ神父

  2013年のための司牧のテーマを選ぶことは簡単でした。信仰年のため、信仰について司牧の計画を作ることは当たり前でした。しかし、信仰年が終わってから、どんな司牧のテーマを選ぶことができるでしょうか? 信仰年の後、何をしなければなりませんか? ヒントを見つけるためには、多分、一年前に戻った方がいいと思います。信仰年が始まった時、前の教皇様、ベネディクト十六世は「信徒のみなさんが信仰をもたらすことは当然ですが、この世の中にその信仰は十分に表れていません」と言いました。わたしたちは信仰を十分に示していますか。聖ヤコブの手紙の中に次の文書があります:「行いの伴わないあなたの信仰を見せなさい。そうすれば、わたしは行いによって、自分の信仰を見せましょう」(2、18b)。わたしたちは洗礼を受けても、長く教会にいても、信仰宣言を勉強して、覚え、唱えても、良い行いがなければ、本当に信仰があると言えますか? 教皇様でもこの疑いがあったので、わたしたちも深く誠実に答えなければなりません。わたしたちの行いはわたしたちの信仰を明らかにします。自分の行いを通して自分の心の状況が分かることが出来ます。 たとえば、主の日を守らなければ、主日のミサに参加しなければ、あまり祈りの時間とスペースを作らなければ、断食と施しをあまりしなければ、隣人を大切にしなければ、悪い習慣をやめなければ、聖書を読まなければ、勉強会に参加しなければ、社会の中で自分の信仰の証しをしなければ… 本当に信仰があると言うことができるでしょうか? 未信者がカトリック教会の行いを見ることができなければ、信仰年は空しくなると思います。わたしたちの信仰を強めるために、聖霊は先に動いたと思います。新しい教皇様とともに、教会はドキドキしました。今もドキドキしていると思います。けれども、すべての教区と小教区はその待望を実現しなければ、信仰年は花火のようにきれいに上がって、すぐ消えてしまいます。

  2014年、宝塚カトリック教会は自分の信仰を明らかにしなければならないと思います。弱い信仰、古い信仰、疲れた信仰、恐れの信仰、恥ずかしい信仰を捨てましょう! 司祭から始まって、信仰の行いを示したい。その行いは自分で見ることだけではなく、兄弟姉妹、また信仰のない人が見なければ、聞こえなければ、本当の信仰ではありません。したがって、教会の組織の代わりに福音の話を、噂の代わりに祈りを、自己満足の代わりに、連帯、平和、正義を、批判の代わりに賛美を、疲れる心の代わりに兄弟姉妹の心を休ませる気持ちを! 宝塚教会の信徒は信仰があるかどうかを、見てみましょう! 2014年はその信仰が明らかになりますように! 2014年を信仰の行いの年にしましょう!

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