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2012年12月号 「信仰年の待降節」
主任司祭 パスクアル・サオリン・カマチョ神父

 12月になり、待降節が始まります。今年の待降節は特別な「意味」があると思います:今年の待降節は信仰年の待降節です。
 私たちの信仰にとって、キリストはアルファ(初め)とオメガ(終わり)です。待降節はこの二つのコンセプトを含んでいます。待降節の当初の目的は、終末を思い出すことでした。そのため待降節の朗読のテーマはこの世の終わりと関連しています。しかし、信徒にとってこの世の終わりは永遠の命の初めですから、恐れではなく、解放の喜びを感じなければなりません。降誕祭はこの喜びを伴います。キリストの誕生日と共に、罪の束縛は滅ぼされ、人間の解放が始まります。降誕祭は救いのはじまりです。神のことばは人間の肉となり、この肉の中から罪と死を打ち破り、人類の信仰の土台になりました。

 信仰年の予定に従って、今月も信仰宣言の説明を続けたいと思います。今月のテーマは「創造」です。待降節とクリスマスとあまり関係がありませんが、典礼によって降誕祭の時期は1月6日まで続くので、信仰宣言の説明を通して、クリスマスの神秘を述べたいと思います。とりあえず、創造と降誕祭は信仰の唯一の神秘の部分です。自分の信仰をかえりみる人は、人間のことだけではなく、信仰をよび起こしてくださる神様の神秘をも考えます。この待降節に信仰を深めるために、特別な努力をしなければならないと思います。

 私たちの教会では2012年には様々な出来事がありましたが、今年を振り返ることは来月の巻頭言を通して書きたいので、今は今年の最後の恵みを歩み続けたいと思います。この時期は長いし、たくさんの行事があって、皆さんは疲れているかもしれませんが、お正月までもう少し頑張りましょう。疲れた心はイエスのための最も美しい馬小屋だと思います。私たちの心に生まれるイエスは、疲れた馬小屋を信仰と希望の馬小屋に替えてくださるでしょう。皆さんがよい待降節を過ごして、素晴らしい降誕祭を迎え、祝うことができるように祈ります。


信仰年について-信仰についての説明-②
天地の創造主、父である神を信じる
 創造は三位一体の業です。御父はご自分のことば(御子)によって、すべてを創造して、ご自分の命の息(聖霊)で、すべてを支えます。三位一体はとても難しい神秘です。創造されたものは(人間から始まって)、神秘的なものです。神の三位(三つの存在の多様性)の中で、神の一体(完全な一体性)を見つけます。同時に、神の一体の中で、神の三位を見つけることができます。同じように、創造を見る時、その神秘は明らかになります:自分自身(「私」の個別性)を知れば、共同体(「私たち」の一体性)の必然性を見つけます。そして、神に創造されたものは、それぞれ「ユニーク」であり、自立されたものであると言えます。すべてのものは神秘的につながっていますので、創造は三位一体のしるしであると言うことができます。したがって、創造されたものは、すべて、三位一体の神秘に関わっていると思います。

 創造の業をされるのは神のみです。つまり、神以外、創造ができるものは誰もいません。私たちは神の創造に協力するために招かれていますが、創造は人間の業ではなく、神だけの業です。その業には「源」があります。それは御父です。御父は、御ことばと聖霊を通して、見えるものだけではなく、見えないものをも創造されます。勿論、創造されたものの中に、御子と聖霊はおられません。御子と聖霊は神として、御父に創造されたものではなく、御父とともに創造主だからです。

 信仰宣言では、見えないものを「天」と言い、見えるものは「地」と言います。見えないものの中に、天使がいます。天使は聖書の中に現れるもので、神ではなく、神に創造されたものです。実は、天使の役割は神に栄光を与え、神と協力することです。その他見えないものの中にも、いろんな価値観をも含めることができます。たとえば、「平和、正義、善、美しさ」などです。
見えるもの中には、宇宙と自然がありますし、創造物の中心として人間もいます。人間は体と魂で成り立っています。神は私たちの体だけではなく、私たちの魂をもお創りになりました。また、人間は創造物から独立しているものではなく、自然とつながり、共同体のメンバーとして創造されました。

 創造の中で神の「足跡」を見つけることができますが、創造は神の延長ではなく、各個の独立です。神はその独立を守ります。それでなければ、本当の自由はありえません。神は全能の神ですが、その特性は創造の自由を壊すためではなく、人間と自然の自立と自由を守るために使います。神は愛しながら創造物を支配したい。神のパワーは愛の力だけですので、人間は創造物の一部分として自由に神に逆らうことができます。私たちも、創造されたものとして、自立と自由があります。その自立と自由をよく使わなければ、本来の創造の調和を壊して、罪と死に陥ります。確かに、創造の中に善だけではなく、悪もあります。その悪の原因は神ではなく、創造されたもの(天使)の不従順です。

 すべての創造されたものはつながっています。最初、この創造されたものは御父に基づいていました。今も創造されたすべてのもののつながりをみれば、深い「調和」をみることができます。この調和は次の特性を通して現れます:真理、善、美しさと一体性。知恵がある人間は創造されたすべてのもののつながりを知り、創造の調和に加わることです。この調和に逆らうことは、死と罪をもたらします。

 悪には二つの種類があります:精神的な悪と身体の悪。悪は神の敵です。神は創造の時から死と罪を滅ぼすために働いています。私たちはその神の働きを「摂理」と言います。実は、信徒の霊的な生活の土台は神の働きをよく理解することです。神の み旨を探し求めることは、イエスから始まって、すべての信徒の務めです。この務めの目的は、私たちの働きを通して、神の働きに加わって、創造を完全にするために神と協力することです。神はその使命に私たちを招いておられます。

 神の招きによく応えるために、神の子、イエス・キリストの模範があります。イエスは神を「父」と呼ぶことを教えてくださいます。イエスの教えに従うと、神は恐ろしい神ではなく、やさしい父と同じように、私たちを守って、励まし、助ける神なのです。
 創造の目的は神の栄光ですが、神の「栄光」とは何でしょうか? 
神の栄光は私たちが次の価値観を生きることです: 真理、善、美しさと一つになることです。
この価値観に反する罪は次の通りです:偽、悪、酷さと分裂です。

 私たちは天地の創造主、父である神を信じるために、真理に生きますか? 善を行いますか? 美しさを作りますか? みんなが一つになるために働きますか? 信仰は抽象的なコンセプトではなく、私たちの人生を通してよく明らかになることです。私たちの信仰が実現されますように!

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