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2012年7月号 「旧約聖書から新しいメンタリティーへ」
主任司祭 パスクアル・サオリン・カマチョ神父

 新しいことはいつも不安を起こします。流行に伴う新しい考え方とやり方は色んな問題を起こしてしまって、揺るがない方法ではありません。しかし、新しい方法がなければ、文明は進歩することがなく、人生の成長は止まってしまいます。
 

 聖書には旧約聖書と新約聖書があり、聖書の中に「新しい」契約、新しい方法を見つけます。しかし、新約聖書の新しさは流行に伴わないで、命の完成まで導いてくださる神様の み旨だけに従います。すべての新しいことはいいことではありませんが、新しいことをしなければ命の旅、人生の成長は止まってしまいます。新しい方法の良し悪しを見分けるために、どんな基準を設けなければなりませんか? 
 

 基本的に次の基準があります:
  ① 神様の み旨に従う方法
  ② 信仰の伝統の流れに従い、完成させる方法
  ③ 教会に分裂を起こさせない方法
 

 よく見れば、この三つの基準はイエス様の使命から出てきます。イエス様は新しい教えと新しい掟を教えますが、この新しさは旧約聖書を無視することなく、完成します。イエス様に従う人も同じ基準を守らなければならないと思いますが、この正しい、新しさを実行することは簡単な働きではありません。古い宗教は重くて、簡単に変わることは出来ません。新生のプロセスの中で迫害と争いは容易に現れてきます。その時、信徒が旧約聖書だけに留まらないで、信仰をいつも新しくするために、キリストと共に自分の命を捧げなければなりません。
 

たくさんの信徒は「キリスト教信徒」と呼ばれますが、まだまだ旧約聖書のメンタリティーにこだわっていると思います。そのキリスト教信徒は福音を頂きました。しかし、読んでも新約聖書の深さが分かっていないと思います。福音書は開けてないプレゼントのようです。
 

 新しくならない教会は旧約聖書に留まってしまう教会になりかねません。この新しさは流行に陥らないように、気をつけなければなりません。しかし、固定主義のため、伝統の流れを止めてしまったら、教会は現代のファリサイ派、サドカイ派、律法学者、最高法院になってしまい、福音を十字架に架けてしまう可能性があります。教会はこの世のための永遠の新しさです。旧約聖書を忘れることなく、新約聖書に基づく新しいメンタリティーに生きましょう。


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