カトリック宝塚教会 月報 巻頭言  カトリック宝塚教会のロゴ

2020年 11月号
11月 死者の月
主任司祭 サック神父

   木々の葉の色の変化は、季節の変わり目を表しています。寒くなりました。カトリック教会の典礼暦では、この11月は「死者の月」です。亡くなったすべてのキリスト者を記念します。わたしたちは亡くなった方々のことを想い出し、彼らの為に祈りをささげる月とします。
 歴史的には、2世紀頃には、既に死者のために祈りを唱える慣習があり、次第にミサの中で祈る様になったようです。そして、亡くなったすべてのキリスト者を1年の特定の日に記念することは、7世紀初めにセビーリャの司教イシドルスが、聖霊降臨の祝日の翌日に死者を記念するミサを行なうように指示したことに始まるとされています。
 死者のために祈りをささげるのは、旧約聖書にも見つけることができます。マカバイ記二に「もし彼が、戦死者の復活することを期待していなかったなら、死者のために祈るということは、余計なことであり、愚かしい行為であったろう。だが彼は、敬虔な心を抱いて眠りについた人々のために備えられているすばらしい恵みに目を留めていた。その思いはまことに宗教的、かつ敬虔なものであった。そういうわけで、彼は死者が罪から解かれるよう彼らのために贖(あがな)いのいけにえを献げたのである。(マカバイ記二12:44〜45)
 その後、この11月が「死者の月」として定着してきたのがいつからなのか定かではありませんが、信仰宣言にも唱われているように、“聖徒の交わり(旧:諸聖人の通功)” を信じる私達キリスト者は、死者への思いを、ミサをはじめとする様々な祈りの形で表し、それが次第に死者の月の設定になったのでしょう。

 神様は慈しみ深い父でありますが、同時に公平の方です。(ルカ福音書12:39-48)に、「目を覚ましていなさい」と、「忠実な僕と不忠実な僕」のたとえ話の中に、「このことをわきまえていなさい。家の主人は、泥棒がいつやって来るかを知っていたら、自分の家に押し入らせはしないだろう。あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。」〜〜〜「主人の思いを知りながら何も準備せず、あるいは主人の思い通りにしなかった僕は、ひどく鞭打たれる。しかし、知らずにいて鞭打たれるようなことをした者は、打たれても少しで済む。すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、更に多く要求される。」と、書かれています。
 このことは、罪を犯した人は、何らかの罰を受けねばならないことを、意味しています。償いをしなければなりません。この償いは、生きている時に果たしきれないときは、死んでから果たすことになります。その場を、煉獄(れんごく)と読んでいます。“聖徒の交わり”の中にいる私達は、この煉獄に留められている彼らが神の慈しみのうちに天国に入る機会を早く与えられますように、彼らに代わって償いをおこなうことができます。
 このように、「聖徒の交わり」の中にいることを信仰宣言する私達には、生きている私達が亡くなった方々のために祈り、功徳を献げることは、亡くなった方々がわたしたちの願いを神に取り次ぎをしてくださる形で、生きている私達に循環されてくることを意味します。
 このように、キリスト教会はキリスト教の初期時代から、死者の記念を深い敬愛の心をもって尊び、死者のための祈願をささげてきました。このように、死者の為に捧げる全ては、私達自身のためにもなります。それは、死者に対してだけでなく、祈りを通して全ての他者を愛することを表わしています。

 

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