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2019年 ご降誕号
インマヌエル・神は我々と共におられる
 (マタイ1:23参照)

主任司祭 カレンガ神父

   カトリック教会ではクリスマスイブのミサにおいて、毎年イエス様がお生まれになった時の事、誰がローマ皇帝で、誰がシリア州の総督だったのか、
そしてヨセフとマリアの住民登録の必要性があった事から福音は始まります。
それはイエス様のご降誕によって、神様は人類の歴史に介入したことを伝えるためで
はないかと思います。その介入によって、人間の歴史ひいては、私たち一人一人の
歴史と過去に変化をもたらします。

 すべての国の歴史に、またすべての人の過去には、触れられたくないもの、あるいは触れられたら恥ずかしい思いをするというものがあるのではないでしょうか。教会の歴史も同じではないでしょうか。恥ずかしい過去または歴史のことを暗闇と聖書では呼ばれています。イエス様は、その暗闇を歩く人類に、光をもたらすために生まれました。「闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた(イザヤ9:1・クリスマスイブのミサの第一朗読))」。以下の逸話は生まれたイエス様の役目を伝えているように思います。

 5歳の男の子を持つ一人の母親が晩御飯を作っていました。倉庫にあった缶詰トマトを持って来るようにと子供に頼みました。子供は母親に倉庫の中が暗いので恐いと答えました。「イエス様がその倉庫にいる。安心して取りに行って」と母親は息子を励ましました。母親を信じて倉庫に行った息子は、倉庫を開けると暗くて中に入られませんでした。そしてイエス様に叫び始めました。「イエス様、イエス様、この倉庫の中にいるのなら、私にあの缶詰トマトをください」と。

 私たちは、このクリスマスに心の扉を開いて、イエス様を迎えることによって、今までの歩みに光が照らされ、新たに生まれることを願い求めましょう。「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない(ヨハネ3:3)」
 「キリストが何千回とベツレヘムでお生まれになったとしても、あなたの中でお生まれにならなければ、あなたはまだ永遠に失われたままである(ドイツの詩人)」。

 

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