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2018年 被昇天号
力ある聖なる方が、私に大きなことをしてくださった
 (ルカ1:49)

主任司祭 カレンガ神父

   マリア様の被昇天を迎える私たち一人ひとりが心から神を賛美する者となることを願いましょう。聖母被昇天の祝日に読まれている「マリアの歌」、「よろこびの歌」に目を留め、自分の人生において神がなさった大きなことを思い起こし、その「人生」が「よろこびの歌」となることを願いたいのです。

 「よろこびの歌」の通りに、聖母マリアの人生は順境の時も逆境の時も「よろこびの歌」だったと言えます。人生のすべてのハプニングを心に納め、思い巡らしていたと聖書に記されています(ルカ2:19)。何があっても不平不満を言わずに、イライラせずに冷静な心とよろこびを保っていたマリア様は力ある神の御力、御手と御腕を信じていたからではないでしょうか。

 六日目の業である人の人生において、神の御力、御腕、御手がなさった素晴らしいことは、私たち一人ひとりを造られたということ、イエスキリストによって、私たち一人ひとりを更に素晴らしい者とされたことだと受け止めたいと思います。「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である(創世記1:31)」。「聖なる父よ、あなたは人間をすぐれた方法でお造りになりましたが、さらにすぐれた方法であがなってくださいました(復活徹夜祭の典礼、第一朗読の祈願)。

 どんな状況に置かれても、あわれみによって力を表す神は、この私にも目を注いでくださり、更にすぐれた者としてくださる信仰がマリア様の人生を「よろこびの歌」にしたに違いありません。「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう(ルカ1:45)」。

 私たち一人ひとりの人生と 宝塚教会の歩みが「よろこびの歌」となりますように、マリア様のように、神が私たちを通して、また私たちを超え、教会を超えてなさる素晴らしいことを受ける器となることを願いましょう。「力ある聖なる方が、私に大きなことをしてくださったからです(ルカ1:49)」。

 

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