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2017年7月号
「私の羊を飼いなさい」
(ヨハネ21:17)
主任司祭 カレンガ神父

   教会の典礼では、復活祭から 50日目の日曜日は聖霊降臨の祭日に当たります。その典礼のみ言葉と祈願などを通して、教会が生まれた経緯とその目的がよくわかります。ある勉強会で、教会の目的を正確かつ簡潔に教えてくださいと言われました。それに答えて言いました。「教会の目的は、神の国を証しする信仰共同体の実現を目指すことです」と。これこそ教会の使命であり、教会のミッションだからです。
 教会のミッションを表すために聖書では、いろんな言葉が用いられています。例えば「行きなさい」「私の証人となりなさい」「福音を宣べ伝えなさい」「罪を赦しなさい」「私の羊を飼いなさい」などがあります。表現は同じことを表していますが、それぞれのミッションのある部門を強調しています。その中でも「私の羊を飼いなさい」には、ミッションのすべての部門が含まれているのではないかと思います。その時々の人のニーズに応え、更にその時々の人々の渇きを満たすことではないでしょうか。その意味で、イエス様は次のように聖霊の役割を述べられました。
 「真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである(ヨハネ16:13)」。

 聖霊降臨で生まれた教会と、聖霊によって生まれた私たちに求められていることは、常に聖霊がもたらす新しさを追求することだと言っても過言ではないと思います。イエスがニコデモに述べられた「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない(ヨハネ3:3)」を教会のミッションと重ねて言うのであれば、教会が新しく生まれなければ宣教することは出来ないと言えるでしょう。 現代の人々のニーズに応えるために、教会(組織)、私たちキリスト者が新しくならなければなりません。それは、集団的にではなく、一人一人がミッションのために新しくなることだと思います。

 第2バチカン公会議の教父たちが述べたように、「現代の人々の喜びと希望、苦悩と不安、特に貧しい人々とすべての苦しんでいる人々のものは、キリストの弟子たちの喜びと希望、苦悩と不安でもある。真に人間的なことがらで、キリストの弟子たちの心に響かないものは何もない。なぜなら、(…)彼らはキリストにおいて一つに集められ、父の国に向かう旅路において聖霊によって導かれ、すべての人々に伝えるべき救いのメッセージを受けているからである(現代世界憲章1)」。

 聖霊に導かれて、聖マザーテレサは日本で暮らしている現代の人々の渇きに気づかせてくださいました。「豊かそうに見えるこの日本で、心の飢えはないでしょうか。誰からも必要とされず、誰からも愛されていないという心の貧しさ。物質的な貧しさに比べ、心の貧しさは深刻です。心の貧しさこそ、一切れのパンの飢えよりも、もっともっと貧しいことだと思います」。私の国のある歌手は次のように言いました。「私はパンに飢えているが、あなたに求めていることはパンではなくて愛だ」と。パンを求め過ぎて、愛情不足に陥っている羊を飼うというのは現代の人々にパンより、愛を与えることではないでしょうか。
 イエス様は「塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである(マタイ5:13)」と言われました。
 愛を与えるはずの私たち(教会)は、愛情不足に陥った時、イエス様に見捨てられるのではないかという恐れを募らせます。このような時に、イエス様から自分自身の渇きが満たされたサマリアの婦人に学んでみてはどうでしょうか。サマリアの婦人は、村の人々の渇きが満たされるために彼らをイエス様のもとに導きました。
 「さあ、見に来てください。わたしが行ったことをすべて、言い当てた人がいます。もしかしたら、この方がメシアかもしれません(ヨハネ4:29)」。
 羊を飼う使命を託されている宝塚教会の私たちが、 宝塚市に住んでいるその羊を、すべての人々の渇きを満たすイエス様に導くことが出来ますように。
 

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