カトリック宝塚教会  月報「よろこび」  巻頭言  カトリック宝塚教会のロゴ
2016年9月号
「父よ、彼らをお赦しください 」
(ルカ23:33)
主任司祭 カレンガ神父

    昨年の12月8日から 教会と共に「いつくしみの特別聖年」を過ごしています。私達は、この「特別な恵みの時」を何もしないで終わらせないために「よきサマリア人」と 「病人をイエスのところに連れて来た四人の方の信仰」の物語について考えて参りました。宝塚教会の兄弟姉妹の皆さんは、この二つの物語を、頭だけではなくて、心から理解して頂いたのではないでしょうか。「いつくしみの特別聖年」の歩みに、少しでも役に立てればと思います。教会によって定められた「いつくしみの特別聖年」に於ける「いつくしみ」が単なる一つの「流行」、一つのスローガンにならないように、今回は、十字架について黙想のヒントをお届けしたいのです。「いつくしみの特別聖年」に「十字架」を。

 教会の暦では、9月14日は、十字架称賛の祝日に当たります。この祝日が定められた経緯を、良かったら、書物やインターネットなどで調べてみては如何でしょうか。 思わぬ発見、キリスト者としてプラスになるような発見に出会えるに違いありません。教会の中や、キリスト者の家、車、墓等、様々な所で、十字架を、見るともなしに見ているという人が、たくさんいると思います。私達が見ているその十字架ですが、よく見るとキリスト像のついている十字架とついていない十字架があるということをご存知でしょう。その違いも合わせて調べてみましょう。

 今年の6月に行われた大阪管区の集い「司祭と助祭のいつくしみの特別聖年」の際に、一人の司祭が次のような疑問を明かしてくださいました。教会は今、「いつくしみ」あるいは「赦し」を強調していますが、イエスはいつ、私達人類に「赦し」を与えてくださったのか、復活後なのか、それとも十字架につけられた時なのか、というのがその司祭の疑問でした。皆さんは、どのように思われますか? 

 わたしが思うのは、イエスは生涯、「赦し」を与える存在です。十字架につけられる前に、十字架につけられた後からも、今も秘跡や神様しか知らない方法で「赦し」を与え続けていますが、特に十字架につけられた時に、私達人類に「赦し」を与えているのです。ここで十字架上でのイエスのこの言葉を、今月のみ言葉にしていただければ幸いです。

 「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです (ルカ23:33)」。

 蛇に噛まれたイスラエルの人々が「赦し」を頂くために青銅の蛇を仰ぎ見る必要があったように (民数記 21:9 参照) 私達もイエスのように痛い時に「赦し」を与え、痛い時に「赦し」を頂くように招かれています。それは、必ずしも、あなたを傷つけた人たちが「赦し」を受けるに値するからではなく、あなた自身が平穏、平安でいるにふさわしい価値があるからです。
 

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