カトリック宝塚教会  月報「よろこび」  巻頭言  カトリック宝塚教会のロゴ
2015年8月号 
「聖霊を待つ間、使徒たちと共に祈る聖母マリアは、

祈る教会の姿を示しました」
主任司祭 カレンガ神父

 皆さんは「ワタシのセンタク」というテレビCMをご覧になったことはありますか? 最近、医療関係者の間で、また、テレビのCMなどを見た人々の間で話題となっているそうです。

 人間は神によって造られており、生と死、命全体に於いて、常に選択肢が与えられています。申命記(30・19)には「わたしは今日、天と地をあなたたちに対する証人として呼び出し、生と死、祝福と呪いをあなたの前に置く。あなたは命を選び、あなたもあなたの子孫も命を得るようにし(ます)」とあります。

 モーセの死後、イスラエルの指導者となったヨシュアは、自分と家族のために主に仕えることを「センタク」しました。「もし主に仕えたくないというならば、川の向こう側にいたあなたたちの先祖が仕えていた神々でも、あるいは今、あなたたちが住んでいる土地のアモリ人の神々でも、仕えたいと思うものを、今日、自分で選びなさい。ただし、わたしとわたしの家は主に仕えます」(ヨシュア記 24・15)。

 恵みに満ちたマリア様は、主の家である教会のために、主に仕える「センタク」をしました。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」(ルカ 1・38)。この「センタク」をしたマリアはすべての人の母となりました。天の栄光に上げられた聖母は、愛をもって、すべての人を見守っていると教会は宣言します。

 宝塚教会の初代の主任神父と先輩の信徒たちは、教会献堂において、その時、どのような「センタク」をしたのでしょうか。私たちのために宝塚教会を被昇天の聖母に捧げたこと、聖堂を、ヨナを呑み込んだクジラの形に設計したことなど、この機会に思い巡らせてみましょう。

 クジラのお腹にいる間、ヨナの主な活動とマリアの生涯を振り返って考えると、初代の主任神父と先輩の信徒たちは祈りを「センタク」したことがわかります。
今年も被昇天のお祝いを迎える私たちと、この教会を訪れるすべての人が、この教会の先駆者の「センタク」を「ワタシのセンタク」にして頂ければと思います。

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