長崎にいた頃、主日のごミサを頼まれて小さな巡回教会に出かけました。
「あそこの教会には、名物の子がおるから、びっくりせんようにね」と注意されました。
ごミサが始まると…、いました!
二階席の正面、司祭が目を上げればいやでも目に入るところに、真っ赤なほっぺをした幼稚園児のA君。
「何をするかな…」と警戒していましたが、騒ぐこともなくごミサに与っています。
ところが、聖別の後、ご聖体を両手で掲げると…、二階席の正面で何か(もしかして、おせんべい?!)を同じように両手でうやうやしく掲げているA君の姿が目に飛び込んできました。
「やるなあ、おまえ…」と感心。
極めつけは、ごミサの最後。
「全能の神、父と子と…」と唱え始めると、二階からA君がうやうやしく十字架のしるしで私を祝福していました。
一緒にするんじゃないってば!
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ごミサの最後のこの部分は、《派遣の祝福》と呼ばれるものです。
この《祝福》というのは、秘跡ではなく、教会が《準秘跡》と呼んでいるものの一つです。
《準秘跡》とは、「教会のさまざまな奉仕職、人々の多様な生活身分、キリスト者の生活のきわめて多岐におよぶ状況、および人間に役立つ事物の使用を聖化するためのものです。(…)つねに祈りを含み、しばしば、按手、十字架のしるし、聖水の注ぎなどの一定のしるしを伴います」(『カトリック教会のカテキズム』1668)。
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準秘跡には、誓願式や祓魔式(ふつましき)がありますが、一般的なのが《祝福》で、中でも《食前の祈り》が私たちにとって一番身近なものでしょう。
また、様々な状況の人への祝福や、物への祝福もあり、これら祝福の祈りをまとめたバチカン発行の儀式書の翻訳が、現在進められています。
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《祝福》というのは、人や物を祝別して霊験あらたかにする…というものではありません。
そもそも神様は天地と人を創造されたときに、それを祝福されました。
私たちと、私たちを囲むすべてはすでに神様からの祝福をいただいているのです。
この祝福は、イエス・キリストの受肉とあがないによって頂点に達しました。
ですから、《祝福》とは「神への賛美であり、そのたまものをいただくための祈り」(『カトリック教会のカテキズム』1671)なのです。
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では、なぜ《祝福》と言えば十字架のしるしをすることが多いのでしょうか?
「キリスト者はキリストにおいて、父である神から『あらゆる霊的な祝福で』(エフェソ1,3)祝福されています。
そのため教会は、イエスのみ名を呼び求め、通常はキリストの十字架の聖なるしるしをしながら祝福を与えます」。(同上)
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皆さんも、この《祝福》をもっと活用してください。
まずは、食前・食後の祈りから。
また、人や物への祝福を司祭に依頼するのもとてもいいことです。
人に関しては、妊婦や新生児、七五三や成人式、巡礼や旅に出かける人など、物では、家(定礎や新宅)、自動車、ロザリオ・メダイ・十字架などの信心用具への祝福が代表的です。
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今回でこの連載も終了。
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もちろん、準秘跡である祝福を軽々しく考えるためではなく、もっと気楽に祝福を依頼していただき、感謝と恵みのうちに信仰生活を送っていただくためです。
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