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カトリック宝塚教会月報 2008年2月号
“雇われ羊飼いのつぶやき”(その15)
お互い様…おまえや!…省みる…
(自らを省みる)
オプス・デイ属人区司祭 酒井俊弘 神父
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 小学生の頃、友達と口喧嘩になると思わず「アホ!」と口走ってしまうことがありました(今では、顔では笑って、心の中だけで言えるようになりました)。
言われた側は、勿論言い返します。
自分「アホ!」
相手「『アホ』言う方がアホや!」
自分「『アホ言う方がアホや!』言う方がアホや!」
相手「『アホ言う方がアホや言う方がアホや』言う方が…」
と延々と続きます。
まあ、ホントにお互いにアホでしたね。
 しかし、こんなことは大人の世界でもよくあることです。
宝塚では聞くことがないお下品な諺には《目屎鼻屎を笑う》というのもあります(ちゃんと広辞苑に載っている諺です)。
聖書では、ダビデ王の話が有名。
部下の妻に一目ぼれしてしまった王は、この部下を戦地で殺させ、その妻を自分のものとします。
神は預言者ナタンを遣わして王を諌めるのですが、いきなり怒るのではなく、こんなお話をさせました。
二人の男がある町にいた。一人は豊かで、一人は貧しかった。
豊かな男は非常に多くの羊や牛を持っていた。
貧しい男は自分で買った一匹の雌の小羊のほかに何一つ持っていなかった。
彼はその小羊を養い、小羊は彼のもとで育ち、息子たちと一緒にいて彼の皿から食べ、彼の椀から飲み、彼のふところで眠り、彼にとっては娘のようだった。
ある日、豊かな男に一人の客があった。
彼は訪れて来た旅人をもてなすのに、自分の羊や牛を惜しみ、貧しい男の小羊を取り上げて、自分の客に振る舞った…」
この話を聞いたダビデは激怒して言います。
「そんなことをした男は死罪だ!」さすが王様、ご立派!
しかし、ナタンは宣告するのです。
「おまえこそがその男やないか!」(最後の台詞は新共同訳ではありません)
 ここで、詩編36の次の一節をお読みください。
彼は自分の目に自分を偽っているから、自分の悪を認めることも、それを憎むこともできない。
彼の口が語ることは悪事、欺き。決して目覚めようとも、善を行おうともしない。
床の上でも悪事を謀り、常にその身を不正な道に置き、悪を退けようとしない。」
如何でしょう。
教会、会社、肉親、知り合いの中に、こんな人はいませんか?一人や二人は思い当たる人がいるのではないでしょうか。
「ああ、いるいる…」と思った方に、「その人とはあんたのことや!」と神様は言いたいと思います。
確かに私たちを傷つけたり不快にさせたりする行為をする人はいるかもしれませんが、その人たちに対して悪意を持った瞬間(普通はそうですが)、私たちも悪人(悪意を持つ人)になっているのです。
詩編37は言います。
悪だくみをする者のことでいら立つな。
怒りを解き、憤りを捨てよ。自分も悪事を謀ろうと、いら立ってはならない。
悪事を謀る者は断たれ、主に望みをおく人は、地を継ぐ。」
 最後に、穴埋め問題。
『人の○○見て、我が○○直せ』の○の中には、どんな文字が入るでしょうか?
女子高生(宝塚以外の地域)に尋ねると、一番多いのは「かお」、続いて「ふく」だそうです。
当たらずとも遠からず…。
正解は、「ふり」?
いいえ、正解は「くず」と「はり」。イエス様は言われました。
「なぜ、兄弟の目にあるわらくずを見て、自分の目にある梁(はり)に気をとめないのか」
誰かを悪く思ってしまったその瞬間に、
「私にも悪意がある」
「私にも同じ欠点がある」
「私は別の欠点を直せない弱い人間」
とすぐに自らを省みる癖をつけることは、神様に近づくための大切な条件です。
マタイ7章3節、講談社版(バルバロ訳)からの引用
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