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カトリック宝塚教会月報 2007年12月号
“雇われ羊飼いのつぶやき”(その13)
親泣かせ?…共にいる友…幼児…
(苦しみを共にしてくださるイエス様)
オプス・デイ属人区司祭 酒井俊弘 神父
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もしもマリア様が現代の日本でイエス様をお産みになることになったとすれば、エリサベトを訪問したときに、こんな会話が交わされたかも…。
「エリおばちゃん、おめでたなんやって?」
「まあ、マリちゃん!わざわざ来てくれたん?メールでよかったのに…。」
「お手伝いさせてもらおう思て。予定日、6月やってねえ。うちの子は12月なんよ。」
「12月って、大変やん。保育所どないすんの?
「まあ何とか頑張るわ。この子も苦労するんやろし、私も少々のことでは、へこたれてられへん。」
「マリちゃん、偉いわあ。」
洗礼者聖ヨハネの誕生は6月24日
0歳児保育は4月1日に生後6ヶ月以上であることが、入所の条件!
スペインのクリスマスソングの中に、イエス様自身が、 《 Yo baje a la tierra para padecer 私は苦しむためにこの世に降りてきた 》 と語られるものがあります。
福音書には、
わたしには受けねばならない洗礼がある。
それが終わるまで、わたしはどんなに苦しむことだろう。(ルカ12,50)
というイエス様の言葉もあります。
イエス様は私たちの苦しみを十字架において担うために、この世に来られたと言えるでしょう。
しかし、イエス様が人間を苦しみから解放するために来られたとすれば、なぜ私たちには苦しみが絶えないのでしょうか。
それは、イエス様が来られたのは、 《 苦しみをなくす 》 ためではなく、 《 苦しみから解放する 》 ためだからです。
ホスピスで働くある医師は言いました。
「ホスピスで命を一日余計に延ばすことはできません。でも、残された一日に意味を与えることはできます。」
イエス様は、自ら苦しみ、その苦しみを通して復活され、苦しみに意味があることを教えてくださいました。
さらに、今苦しんでいる私たちと共に苦しんでくださる…。
《 共に苦しんでくださるイエス様 》 として、つまり 《 友なるイエス様 》 として、苦しみの虜(とりこ)から私たちを解き放ってくださったのです。
さらに、そういうイエス様を信じることができれば、私たちは苦しみの中にあって慰められるだけでなく、苦しみの中にある人たちに慰めを与える人、 《 共にいる友 》 になることもできます。
聖パウロは、こう述べています。
神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、
わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。
キリストの苦しみが満ちあふれてわたしたちにも及んでいるのと同じように、
わたしたちの受ける慰めもキリストによって満ちあふれているからです。(2コリント1,4-5)
イエス様は、苦難と共に必ず慰めも送ってくださいます。
幼児は確かに苦労も持ってきますが、それに勝る大きな慰めを常に与えてくれるものです。
このことを教えるために、イエス様は幼児になられたのかもしれません。
良きクリスマスをお迎えください。
《ク》 苦しめる
《リ》 虜囚(りょしゅう)の夢や
《ス》 救い主
《マ》 マリアに抱かる
《ス》 姿うるはし
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