一字違いで大違いということがあります。
聞いた話ですが、ある女の子が友達に言いました。
「うちのお母さん、寝るときはスッポンなんだよ!」
君のお母さんは夜になると変身するのか?と突っ込みたくなりますよね。
ところで、カトリック教会に関してもっとも広く知られている一字違いの誤りは、「免罪符」です。
これは本当は「免償符」であって、一字違いで大違いであることをご存知でしたか?
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「免罪」とは文字通り「罪」が赦されることですが、小罪に関しては心からの痛悔や様々な善行によって、大罪に関しては洗礼、あるいはゆるしの秘跡によって赦されます。
しかし、罪は赦されても「罰」は残ります。
言ってみれば、刑事裁判で無罪放免になっても、民事裁判で損害賠償の責任ありという判決を受けるようなものでしょうか。
この「罰」を償うために、ゆるしの秘跡の際に、司祭は簡単な償いを課しますが、それはあくまでも罪が赦されるための最低限の償いに過ぎず、罪に見合った罰はまだ残ると考えられています。
それを生きている間の様々な善行によって減らしていくことができるのですが、減らしきれなかった分は、煉獄で償うことになるわけです。
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ところが、教会は、キリストと聖人たち(ことに聖母マリア)の功徳に基づいて、有限の罰を赦す、あるいは減らす「免償」を与えることができます。
ただし、ゆるしの秘跡でまず「免罪」を受けることが第一条件です。
その上で、様々な祈りや信心の業によって免償を得ることができますが、以前は教会を物的に助けることによっても免償が与えられていました。
中世の教会が、聖ペトロ大聖堂の修復などの良い目的があったとはいえ、この「免償符」の販売に力を入れたことで、「金で天国の安らぎを買う」といった風潮を生み、ルターの宗教改革のひとつのきっかけになったとされています。
しかし、これはあくまで「免償符」のこと。
しかし、日本の歴史教科書はもちろん、カトリックの書物にも、「ルタ−の抗議。免罪符の販売は、教会のために良い行いを積めば、罪が赦されるという考えによっていた…」と書かれているのです。
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今月は死者の月。
「免償」は死者に譲ることができます。
自分の罪の償いのためはもちろん、亡くなった先人たちのために、たくさんの祈りと犠牲を償いとして捧げましょう。
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「償い」についてのお話。
田舎の隣村に住む二人の司祭は大変仲が悪かったのですが、田舎ゆえにお互いにゆるしの秘跡を受けるしかありません。
ある時、罪を告白した司祭に対して、相手はこう言いました。
「では、償いとして、十字架の道行を一回。…ただし、十四留の各留ごとにロザリオを一本」
言われた方は、泣く泣く数時間かけて償いを果たしました。
しばらくたって、今度は立場が逆転。
恐る恐る罪を告白した司祭に対して、相手はこう告げました。
「では、償いとして、ロザリオを一本。…ただし、めでたし一回ごとに十字架の道行を行いなさい」
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