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月に一度、阪急電車に乗って宝塚教会まで来るたびに、毎回思い出す話があります。
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妻「あなた、日曜日なんだから子どもたちをどこかに連れて行ってやってよ」
夫「じゃあ、動物園にでも行くか!」
子どもたち「ワーイ!」
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(帰宅後)
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妻「楽しかった?」
子どもたち「うん、とっても楽しかったよ!」
妻「どんな動物がいた?」
子どもたち「おウマさん」
妻「そう。他には?」
子どもたち「おウマさん」
妻「え?他の動物は?」
子どもたち「おウマさんだけだったよ」
妻「…、あなたっ、どこに連れてったんですか?!」
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いわゆる「賭け事」は、日本では「競馬・競輪・競艇・オートレース」と「宝くじ・スポーツ振興くじ」が公営ギャンブルとして認められていて、その他に「パチンコ」も一種の公認ギャンブルです。
カトリック信者はこのような「賭け事」に興じてもいいのでしょうか?
『カトリック教会のカテキズム』には、こう書かれています。
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「とばくや賭け事自体は、正義に反するものではありません」(2413)
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安心ですね!お父さん!
でも、続いてこうも書かれています。
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しかし、自分や身内の者の生計を立てるために必要なものを失うような場合は、道徳的に容認できなくなります。
賭け事に熱中すれば、そこから抜け切れない重大な羽目に陥ります(同上)
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つまり、適度に賭け事に興ずるべきだということです。
もちろん、冷静に考えれば、宝くじを「当てよう」などと考えるのは、非現実的でしょう。
年末ジャンボ宝くじ1等2億円の当たる確率は一千万分の一。
これがどれぐらいの確率かと言いますと、宝塚南口から西宮北口経由で三宮に行き、そこからさらに河原町まで行く道のり(約100q)の線路2本の上に、びっしり一列に並べてある1円玉の中から、印の入った1枚をあてることです。
まさに「夢」ですね。
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適度に賭け事を楽しむことが許される、とは言っても、それは「正義」の観点から見ただけであって、経済的なことがらに関して、カトリック者は「正義」とともに、「節制」と「連帯」の徳を実践するべきだとカテキズムは教えています(2407参照)。
たとえ自分にとっては「すってもかまわないお金」であっても、「節制」と「連帯」を考えるならば、やはり賭け事はなるべく控え目にすべきではないでしょうか。
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「連帯」を大切にするならば、話は賭け事だけにとどまりません。
去る5月に発表された今年の「サラリーマン川柳十選」の第3位は、
「犬はいい 崖っぷちでも 助けられ」
でした。
カテキズムでは、
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神は動物を、ご自分にかたどって造られた人間の管理にゆだねられました。
…労働や娯楽などで人間の手助けをするために飼い馴らすこともゆるされています(2417)
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としていると同時に、
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人間の悲惨事を和らげるために用いるべきはずの金額を、動物のために消費するのもふさわしいことではありません(2418)
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と述べています。
「いのちの崖っぷち」に立たされている世界中の多くの人々を救うためにするべきことを、しっかりと考えて実行するのも信者の役割です。
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