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カトリック宝塚教会月報 2007年5月号
“雇われ羊飼いのつぶやき”(その6)
Me too…自己紹介…マリアの子…
(マリアの謙遜、マリアの子)
オプス・デイ属人区司祭 酒井俊弘 神父
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 その昔、アメリカのクリントン大統領と会談することになった森首相が、英語での挨拶の特訓を受けました。
自分《 How are you ? 》
相手《 I'm fine thank you. And you ? 》
自分《 Me too. 》…
とにかく、このフレーズを丸暗記。
当日、大統領に会った森首相は緊張のあまりこう切り出しました。
《 Who are you ? 》
ジョークだと思った大統領はこう答えました。
《 Oh, I'm Hilary's husband. And you ? 》
森《 Me too !! 》
大統領《 …… 》
 有名人を別にすれば、自己紹介する際、自分の属している何かと自分との関係を指すのが普通です。
「私は△△担当です」とか「私は◇◇社の課長をしています」など、役目上の肩書きを使うことが多いのですが、「○○の夫です」とか「□□の母です」といった家族における関係を表すものが、自分の本質により近いものでしょう。
聖書の世界でも、ペトロに対してイエス様は「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ」と言われましたが、「バル」は「…の子」という意味で、「ヨナの息子であるシモン」を指しています。
他にも「ティマイの子で、バルティマイという盲人の物乞い」といった人も登場します。
 では、マリア様に向かって、「あなたはどなたですか?」と問い掛けたら、何とお答えになるでしょうか?
「イエスの母です」「救い主の母です」「天の元后です」のような答えが返ってきそうですが、実際は違いました。
 1858年2月11日に聖女ベルナデッタに現れた聖母マリアは、3月25日お告げの祝日に、名前を尋ねられて答えました。
「 Que soy era immaculada coucepciou. 私は無原罪の御宿りです」
14歳の少女ベルナデッタには、聖母の言った言葉が分かりませんでしたが、それも無理はありません。
僅か4年前に教皇ピオ九世が発表した《無原罪の御宿りの教義の決定》は、まだ全教会に知れ渡っておらず、病気で学校を休みがちだった彼女は immaculada coucepciou なる単語を聞いたこともなかったからです。
 なぜ、マリア様は自己紹介にこの言葉を選んだのでしょうか。
なぜ、「キリストの母です」と言わなかったのでしょうか。
私はそこにマリア様の真の謙遜さが現れていると思います。
「母」というのは、「私が産んだ子の母」という自分が果たした役割ゆえの結果であるのに対して、自分が何かをしたわけでもなく、ただひたすらに神からの恵みである無原罪の御宿りこそが、自分の名称として相応しいと考えられたのでしょう。
「身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださった」とエリサベト訪問の際に述べた聖母に相応しい自己紹介の言葉だったのです。
 こう考えますと、いつの日か天国の扉の前で、鍵を持っていかめしい顔をしたペトロに
「おまえは誰だ?天国にふさわしい者か?」
と問い質されたときの私たちの自己紹介の言葉は決まってくるでしょう。
ペトロに逆に尋ねましょう。
「あなたはマリア様の何ですか?」
ペトロ:「私はマリア様の子だよ」
私たち:「 Me too !! 」
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