1月半ば、突然、池長大司教さまより電話があり、伊丹教会と宝塚教会の兼任を頼まれました。
正直に言えば、ただでさえ結構忙殺に近い状態であるのに、更にこの重大な責任を受け入れれば、私はどうなるのかと思いました。
でも、大司教さまはお困りになっておられ、大阪教区の現状から見れば、断ることはできないと思い、「はい」と答えました。
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そして、2月9日に大阪教区の人事異動の発表があり、伊丹と宝塚の主任司祭兼任で私の名が載っていました。
この任命はいつまでになるか私は分からないのですが、私はこの「十字架」を担って歩もうと思います。
「十字架」は神さまからのプレゼントであり、主の出会いの場でもあります。
無力な自分に直面して、更に、神に寄りすがる時です。
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3月30日から、ミサと勉強会、行事などの時間を調整して、そして、司牧協力司祭や協力信徒とともに、両教会の小教区評議会と相談しながら、主キリストに頼って歩みます。
教会は、神の愛、哀れみとゆるしを中心として、それに向かって歩む信仰共同体です。
共に歩む力が、福音において与えられるのでなければ、すべての働きは空しいものです。
人間の力は限られています。
私たちの働く力は、神のみ言葉と、主キリストの死と復活の神秘から、いただくものです。
ですから、なるべく多くの信徒が、毎週日曜日に教会に集まり、神の愛の契約の言葉に耳を傾けて、キリストの愛の宴に養われ、社会に向かって派遣されるよう努めましょう。
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それぞれの場で、キリストによって、キリストと共に、キリストのうちに、福音的な証を、日常生活の中でなさることが信徒の大切な務めです。
司祭の務めは、信徒がますますキリストの愛の計画を自分の身に受けとめ生かせるよう、協力することです。
両教会はいずれも、神の招きにおいて存在しており、どのようにその招きに応えるかを模索しています。
求道者の準備、病人の訪問、結婚講座、お通夜・葬儀の準備、教会の維持、福音宣教など教会の務めは、司祭、シスター、評議会、○○委員会の仕事だけではなく、共同体全体の責任であり、仕事なのです。
私たちそれぞれが、今の教会の現状に関心を持ち、祈り、小さな手伝い、奉仕に努めましょう。
洗礼を受けた信徒は、皆、教会の一員であり、お客ではありません。
洗礼によって共同体に奉仕する賜物も受けているし、神の宣教者です。
神さまが与えてくださった、現状を受け入れ、共に力を合わせましょう。
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